俺のトーナメントプレイヤー人生はお酒からスタートした。

地元函館を離れて、単身札幌の学校に乗り込んだ。

札幌にマジックプレイヤーの友達はいなくて、調整はすべて一人で行わなくてはいけなくて、ネットの情報だけがすべてだった。そんな俺が札幌マジックコミュニティに入り込むきっかけを作ったのは、ファイナルズ1998でベスト8に入った古田という酒豪だった。

古田はPTQベスト8に入賞した俺に、「今日飲む?」と声をかけてきた。札幌でのマジック友達を作りたいと思っていた俺は、ノータイムにOKと応える。当時PTQベスト8は予選ラウンドの次の日に行うというシステムで、古田家で朝まで飲んでからPTQに優勝した。二日酔いでのプレイはとても見られるものではなかったけれど、なんとか運良く優勝した。それ以上に札幌でマジックの人との繋がりができた事がとても嬉しくて、PTQなんか負けてもいいやくらいの気持ちを持っていた。

その後、札幌マジックプレイヤーとの交流は雪だるま式に増えていき、ドラフト、飲み会、カラオケを通して、札幌にいた六年間での交友は、マジックだけに留まらず、マジックを引退した人たちとも「親友」と呼べる付き合いに発展した。



俺は全国のプレイヤーに友達がいる。

そのきっかけとなったのは1999年PTシカゴ。二度目のPTは独自に調整したネザーゴーで3-4の惨敗であった。

しかし、このPTは俺にとって起源ともなるPTだった。

PTシカゴはナックさん(ハットマンの方)が地方PTQを抜けた人達を導いてツアーを行っていたので、北海道から出場する俺と俗はナックさんにお世話になることにした。ナックツアーでは同年代としてTOPPOと友晴がいて、元気な若者達は瞬間的に意気投合。前歯が出ている30歳くらいのおっさんに「ビーバー」というあだ名を付けて、本人にPT会場で「アーユービーバー?」と聞いて悪ふざけする程のはしゃぎっぷり。帰りの空港で待ち時間5時間が楽しすぎて時が止まって欲しいと思えた程。

その後、友晴とは温泉に行ったりバドミントンをしたり、一緒にマジックする事はほとんど無いままに交友を深めて今に至る。

TOPPOの絡みで浅原連合に出入りする事を許され、友晴の絡みでモリカツと出会い、その二人を基点に全国のマジック友達が爆発的に増えた。どこの地区に遠征しても、地元の人にご当地名物を教えてもらったり、家に泊めてもらったりと。

そんな生い立ちを持った自分が、今では人の拡がりに対して閉鎖的になっていると感じた。

マジックの輪を拡げようという心意気を失っている事に気づいた。

そんな意図から、自分たちの輪を拡げると共に、同じ衝動を感じていて輪を広げたいと思っているプレイヤーのためにも、GP横浜の後に飲み会を開催することにした。

マジックプレイヤーとマジック以外で遊ぶ事はとても楽しい。マジック友達が普通にも遊べる友達であったなら、普段の調整がより楽しいものになる。楽しくないマジックは続いていかない。

マジックを通じて様々な遊びをして、交流を深める事はマジックが強くなる事にも繋がる。

この飲み会の参加条件はマジックプレイヤーであるというただ一点。

mixiの「マジックプレイヤーと遊ぼう!」というコミュニティの中で参加者募集をしている。
GP横浜2日目、3月21日夜9時に会場集合。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4791129

できるだけ多くの人に参加してもらって輪を拡げたいと心から思う。

単独の参加も、グループでの参加もOK。
二次会の予定は立ててないけど、朝まで飲むつもり。

※昨年の旅日記、PTサンディエゴ日記は後日更新予定。
システマゼロはグッドデッキ。

コメント

prae
2010年3月23日20:17

横浜の飲み会ではお世話になりました、2人連れで来ていた者です。
自分も酒はMTGの友だと思っています、是非とも次の機会を楽しみにしています。

nophoto
GP横浜R16の対戦相手です。
2013年3月4日20:48

イソギンチャク三マナと勘違いしてプレイしていました。
すみませんでした。

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